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「平成元年」の思い出

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2019年4月2日
  • 読了時間: 3分

 普段から西暦を優先し元号は必要に応じて併記することを原則としている私だが、初めての計画改元を目前にして平成が終わることを考えると、どうしても平成元年たる1989年の思い出が蘇ってくる。この年、私はパリに叔父・西村俊郎を二回訪ねている。一回目は二月末で、平成に改元された直後のことだった。叔父に会った日は確か昭和天皇の葬儀の日だったが、叔父は昭和天皇崩御と平成改元を知らなかった。まだ明けやらぬ早朝のパリ市街を一緒に散歩しながら、そのことを説明したのを覚えている。叔父はことさら驚いた様子もなく、一言「そうか」とだけ言った。

 このウェブサイトの「資料室」に載せた「パリの西村俊郎」と題するスナップ写真はこの訪問時に撮ったものである。実はこの旅行は私が初めて「西洋」に足を踏み入れた記念すべき旅行だったので体験のすべてが新鮮なものであった。ちょうどイランでホメイニのイスラム革命が進行している時で、街中の新聞売り場や壁にホメイニの顔写真が見られた。また地下鉄の清掃労働者のストライキが頻発し、駅のホームや階段が紙屑で溢れていたことを覚えている。私はこの後、パリからロンドンに向かったのだが、英仏海峡トンネルはまだなく、ホバークラフトに乗って海峡を渡ったのだった。

 二回目は同じ年の12月。世田谷の土地のことでどうしても叔父に帰国してもらわねばならない事態となり、その説明のためにパリに行くことになった。(「管理者のブログ」の自己紹介にも書いたが、世田谷の家はその前年に取り壊されており、土地はすでに更地であった。)ちょうどクリスマス直前から年末にかけてのことであり、結局、80歳の叔父は「平成元年」の年末にパリを引き払って私と一緒に帰国することになったのである。この時、パリではルーマニアでチャウシェスク政権が崩壊したというニュースが耳目を集めており、コンコルド広場から支援団体が支援物資を満載したトラックを連ねて陸路ルーマニアに向けて出発するところを見たことが忘れられない。

 1989年=平成元年という年は明らかに世界史の転換点だった。あれから30年。「平成」という一つの時代に区切りが付けられようとしている。因みに西村俊郎は1909(明治42)年に生まれ、2000(平成12)年に亡くなったから、元号で言えば明治・大正・昭和・平成という時代を生きたことになる。こう見ると、この時代を生きた日本人にとって最大の歴史的転換点はどう考えても1945(昭和20)年だろう。「軍国主義から平和主義への転換」が意味するものはどれだけ重いものであったことか。今上天皇の想いが国民の共感を呼ぶ所以である。 (平成31年4月2日 記す)

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