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「絵を買う」ということ

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2019年11月15日
  • 読了時間: 2分

 短期間ではあったが私は、当時叔父の画商だったN氏と一緒に仕事をしたことがある。一回目はデパートの美術画廊での個展で、これは販売を目的としていた。二回目は非買を前提とした公的なギャラリーでの個展である。その時すでに高齢だった叔父の代理人として ”渉外の窓口” を担当したのだが、私はN氏から、ギャラリーや印刷所との交渉などについて多くのことを教わることができたように思う。その中で一番記憶に残っているのは、彼が最後に「絵を人にただであげたりしてはいけませんよ」と言ったことである。プロの画家や画商にとってそれは当然のことだと思ったが、考えてみると、そこにはもっと多くの意味が込められていたように思う。

 画商から一定の値段で買った人がいる一方で、もし画家やその家族が作品を無料で人手に渡しているとなれば、作品の値段というものは一体どうなってしまうのか?という疑問が湧くのは当然だろう。また、ある作品に高い値段が付くとすれば、それは「良い絵だから」というよりも「人気がある絵だから」だと言えよう。さらに、ある絵が一定の値段で売れたとしても、いつまでもその値段が保証されるかどうかは判らないし、その逆もあり得るのだ。だから、美術品を投資目的で購入することには当然ながらリスクが伴うと言わざるを得ない。

 美術品は、その作品が気に入って所有したいと思う人にできるだけ妥当な値段で買ってもらうのが一番理想的な姿だと私は思う。ただ、以前のブログにも書いたように、その値段はプロの作家としての仕事が続けられることをある程度保障できるものである必要がある。しかし、特に不況の時代にあっては、その理想を実現することは極めて難しい。まあ、現役の作家と物故作家とでは事情が大きく違うかもしれないが。いま私が思うのは、美術品は「高いものは良いものだ」という考えに惑わされず、「自分の眼で見て、いいと思うかどうか。欲しいと思うかどうか」という基準で観るべきではないかということだ。そしてそれが手の届く値段であれば、それに越したことはないだろう。

 何でもそうかもしれないが、身銭を切って物を買うと、その物に対する見方が変わる。理解が一歩深まるような気がするのだ。私はこれまで特に書籍においてそのことを経験してきたが、最近は美術品についても実感するようになった。だから叔父の作品をたくさん持っていても、他の画家の作品を買うことがある。もちろん投資目的などではない。そうすることで叔父の作品に対する理解も深まるように思うからである。 (2019.11.15

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