「絵画の画素数」とは?----再び「絵画と写真はどう違うのか」について
- 西村 正

- 1月20日
- 読了時間: 2分
このブログを始めて間もない2018年10月9日に私は「絵画と写真はどう違うのか」と題する記事を書いている。このテーマを巡って叔父・西村俊郎と議論をした思い出と、長野県上田市にある戦没画学生の作品を顕彰する美術館「無言館」で出会った、ある一作品の衝撃を書いたものである。その記事の結論としては「絵画では写真でできないことができる」というものであった。
私は定年退職後、今日に至るまで、このウェブサイトを通じて叔父の絵画作品を顕彰する活動を続けているが、私自身の趣味としては絵画よりも、むしろ写真に関心を抱いてきた。最近は写真家のYouTubeを観ることも多い。先日、渡部さとる氏の「2B Channel」を観ていた時、「絵画の画素数」という聞きなれない表現を耳にして、はたと感じるものがあった。話をかいつまんでまとめると、「19世紀になって写真が登場するより以前の絵画は極めて画素数が高い」というのである。それはすなわち「写真は絵画に替わるものとして登場した」のであり、「それまでの絵画の役割は写真に継承され」、「その後の絵画は写真とは違った役割を担うものに変質していった」というのである。そのことを典型的に示す例として「例えば印象派の絵画は(それ以前の絵画と比べて)画素数が格段に低くなっている」という。「画素数」をキーワードにして議論が展開されたことに私は意表を衝かれた思いがした。
西村俊郎は生涯、具象・写実というジャンルに拘り続け、その画風が抽象に向かうことはなかったと本人は思っていたようだし、叔父を身近で見てきた私もそのように考えてきた。しかし、いま改めて叔父の作品を見ると、その画風は具象・写実であることは確かだが、写真と違うことは明らかであろう。世の中には写真かと見まがうほどに細部まで描ける技術をもった画家がいることも承知しているが、叔父はそのような技術の習得を目指していたわけではない。だから私自身、具象・写実と抽象を対立概念として捉えてきたが、実は両者の間に明確な線引きをすることは困難なのではないかと今更ながらに思うことがある。「より具象的・写実的」と「より抽象的」という分類ができるだけではないだろうか。そう考えると、分類という概念に囚われ過ぎるのは、いかにもつまらないことのように思えてくる。(2026.1.20)
コメント