コロナ下のオリンピック
- 西村 正
- 2021年8月7日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年4月2日
「(2020年は)TOKYO」と書かれたカードがテレビに映し出されたときは正直驚いた。私はイスタンブールになることを期待していたからでもあるが、その時期が猛暑の真夏だと知って二度驚いた。当時は福島の放射能の問題が一番クローズアップされていたが、日本の猛暑は絶対に問題になるだろうと心配したものだ。選手の活躍は讃えたいが、ここまで利権と政治的思惑に翻弄されたオリンピックには愛想が尽きたと言わざるを得ない。今後オリンピック・パラリンピックの開催地には「気温と湿度の条件」を付け加えるべきだろう。その上コロナである。もう狂気の沙汰と言われても仕方ないオリンピックになってしまった。これで、果たしてパラリンピックができるのか、心配になる。
この記事のカテゴリーは「モノローグ」だから、聞き流していただいて一向に構わないのだが、このオリンピックについて私にとって良かったと思うことが二つあったことを書き留めておきたい。些細なことと思う人もいるかもしれないが、一つは開会式の入場順である。ギリシャが常に先頭になることや開催国が最後になるというような例外はあるが、今回の順番は「日本語の五十音順」だったことは特筆すべきであると私は思う。1964年の東京オリンピックでは「英語のアルファベット順」だったのだ。IOCでは「開催国のアルファベット順」とだけ決められているそうで、ここで言う「アルファベット」はABC…に限るものではないという。ちなみに2008年の北京オリンピックでは「中国語で国名を表記したときの漢字(それも簡体字)の画数順」だったそうだ。それと関連してもう一つ良かったことは、以前のブログ記事にも書いたテーマだが、日本人の名前をローマ字で書くとき「姓が先で名が後に来る」という原則を実行したことである。姓は大文字のみで、名はスモールキャピタルで書かれていたが、その原則はどの国の選手についても統一されていたようだ。
もう一つは、いささか私事で恐縮だが、夜間の定時制高校に勤務していたときの教え子で、途中で退学したものの印象に残っている生徒がいて、彼は父が米国人で母が日本人なのだが、その後渡米して大学まで進学した。その彼が今回スケートボードとBMXの通訳として来日していることだ。勿論、選手ではないからテレビに映ることもないが、それでも「先生、観てください」とLINEで連絡してくるので、ついテレビを観てしまう。これまでは彼が日本に帰ってくるたびに会っていたが、コロナ禍のこの状況ではそれも叶わない。
私も高齢者の部類だからすでに二回のワクチン接種も受けたが、だからといって感染しない保証はない。接種を受けても基本的には何も変わらないような気がする。この間こんなに感染者が急増してしまって、医療は、経済は、国民生活は一体どうなるのだろう。また以前のように居酒屋やスナックにも安心して行かれるように、そして懐かしい人たちにまた会える日常が一日も早く戻ることを切に願う。 (2021.8.7)
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