叔父の思い出(2):西村俊郎式健康法
- 西村 正
- 2018年8月20日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年9月11日
私の父・羊三は叔父・俊郎とは2歳違いの兄だが、この二人は兄弟でありながら性格も体質もかなり違っていた。例えば背格好はそう違わなかったものの、父は酒も煙草も好んだのに対して、叔父は酒も煙草も全くやらず、幼少時から甘いものを好んだそうだ。そのせいかどうかはわからないが、叔父は若い頃から胃弱に悩まされていたという。特に酒は体質的に受け付けなかったようで、フランスのパーティーで無理して乾杯に付き合っているうちに前後不覚になって階段から転げ落ちてしまったという話を聞いたことがある。
風景画に転じる前の叔父は精神的にすっかり参っていたこともあって、胃弱と偏頭痛や不眠に苦しんでいた。そのため「健康法」にはずいぶん熱心だったように記憶している。ジューサーを買ってきて野菜ジュースを作り、まずそうな顔をして我慢しながら飲んでいたのをよく覚えている。一時は誰に聞いたのか、毎朝灯油を小さな盃に一杯ずつ飲んでいたことさえあった。藁にもすがる思いだったのだろう。60代だったと思うが、胃癌のため胃の摘出手術も受けている。
そんな叔父が辿りついた健康法は「規則正しい食事」と「朝昼夕と毎日欠かさず歩くこと」だった。3度の食事はほとんど家族と時間を合わせることはぜず、パンとチーズや牛乳を中心とする質素なものだったが、独りで自分のペースで採っていた。この習慣はフランスに行ってからも変わらなかったようで、本人にとっては全く苦にならなかったようだ。私がフランスに叔父を訪ねたときには、逆にそういう生活に合わせるように要求されたので、私としてはさすがに閉口して別のホテルに「一時避難」したことがあった。当時の叔父を知っている人たちには「仙人」と呼ばれていたらしい。
健康を自認していた私の父は78歳で他界し、叔父は「90まで生きる」といつも口癖のように言っていたその言葉どおり、本当に90歳まで生きたわけだから、心掛けというか、生きるということに対する意志は相当強かったと言えるだろう。しかし「歩かなければ死んでしまう」という強迫観念を持ってしまったことが、結局、熱があっても歩きに出掛けてしまうという無茶に繋がり、もっと生きられたかもしれない寿命を縮める結果になってしまったのは今考えても家族としてやりきれない思いだ。 (2018.8.20)
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