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叔父の思い出(4): 中村研一先生のこと

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2018年8月25日
  • 読了時間: 4分

更新日:2020年7月10日

 世田谷の家の玄関の上に確か「世田谷美術連盟」と書かれた小さなプレートが掛かっていたのをおぼろげに覚えている。インターネットで調べてみると、その団体については見つからなかったものの、「日本美術家連盟」という団体が今もあり、その創立は1949(昭和24)年であることが判った。もしかすると、その支部だったのかもしれない。日本美術家連盟には「連盟ニュース」という発行物があって、何気なくそのバックナンバーを見ていると、第3号(昭和25年1月1日発行)の巻頭に中村研一氏の『寡婦や孤児をもたないつもりか』と題する記事が載っていた。中村研一氏は確か本郷絵画研究所と光風会の両方において叔父の先生だった人である。ちょっと長くなるが、全文を紹介させていただきたい。(旧かな・旧漢字のほか文字遣いを若干改めたところがあることをお断りしておきます。)


 それはもう旧い話なのだが、ある年私はサロンドートンヌの総会なるものに出て見たことがあった。今はどうか知らないが、そのころ毎年その年の各国の会員の内での物故者の作品を一二室に回顧展の形でならべて同時に展観する仕来りであったのだが、その年も三四人物故者があり、中にオットマンもまたその中の一人であった。どこも同じことで出品者は多く、壁面は足らずで、ことにオットマンを好かない連中も大分居て、もうこんな馬鹿馬鹿しいことは止めたらどうだ、我々は新進に壁を譲り、あまり縁もない外国の物故作家の絵なんか並べるのは止めてしまえという議論になって、決を採ると異議なく賛成ということになってしまったのである。その時議長のフランツジュルダン氏がその鴨の様な体をおこして怒りに燃えた様な目を輝かして一同に云った言葉を今に私は忘れない。

 「芸術家というものはまことに金銭に恵まれない人々である。少数の人を除いては大抵世の人に真価を認められずに死んでゆくものである。作家は存命中はお互いの嫉妬や敬意や悪意や慈悲や、また本人の世渡り下手で認められるべき人が無名や不遇で死んでゆく。存命者の死者に対する最後の務めは今一度その敵意も恨みもなくなったところで、その人のために世に問うてやるのが礼儀であり義務ではなかろうか? そして世の中に出る機会を作ってやるべきではなかろうか? そのため遺作が売れて遺族が助かるということが万に一つあったとしたらどんなによいことであろうか?」 さらに彼は一段と声を励まして「諸君は後顧の憂いは無しとするのか? 諸君は未亡人を残さないつもりか?」

 一同はしんとなってしまったのである。めいめいがこの社会にもっている画家の経済上の事情を考えたのである。そして、今決議したばかりの件を前にも増した満場一致でその遺作室を存置することに賛成したのである……私はこの話をもう度々したように思う。この間何かの時話していたのを、皆が書け書けというので書いたのであるが一体今の世のすべてのことが我々不定収入で活きてるもののことを考えて仕組まれているのであろうか? 保険も税金も失業手当も何もかも定収入の人を目安に作られているのである。我々の中に誰か孤児や寡婦のために産を残し得ると思うものがあろうか? 保険金を残し得るものがあろうか? 美術日本、美術日本と皆からおだてられて一体その美術家に何の生活や死後の保証があるというのだ。たとえ千円でも我々が我々の同業に贈り得ることは少なくとも我々同業のアムールを表明することになるのではないか。孤児と未亡人も何かの相談をもちかけることができるのだ。連盟に入ることを薦め合おうではないか。一人ではこの薄情な社会に何の発言もなし得ない。皆んなが仲よくしてゆこうではないか! 芸術のこと? それはまた別の話なのだから安心して美術家の横の仲間を作らねばならぬと思っている。 

                         (以上、中村研一氏の引用終わり)


 これは連盟加盟を呼びかける文章であることを念頭に置いて読むべきものであるかもしれないが、私はこの中に書かれた「不定収入」という言葉の意味を重く受け止めたいと思う。私が育った家では父も叔父も不定収入だったので、私にはその意味するところがよく分かる。(父は実務文書の翻訳をしていた。)職業画家であるためには作品が売れなければならない。勿論、不当と思われるほどの高値で売れる必要はないが、画家とその家族が生活していけるだけの値段で売れなければ画家は創作活動を続けていくことができないのである。叔父はなぜか中村研一先生のことをあまり語らなかったのだが、私はこの文章に出会ってから、この画家に関心を深めている。 (2018.8.25)

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