叔父の思い出(5): 都内で写生していた頃
- 西村 正
- 2018年8月31日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年2月10日
叔父が日本各地への写生旅行を始める前のことだから、1960(昭和35)年かそれより少し前のことだと思うが、叔父はよく永代橋などを描きに出掛けていた時期があった。私はまだ小学校に入るか入らないかという歳だったはずだが、なぜ永代橋などという名前をはっきり覚えているかというと、叔父はある冬の日、その橋の下にいた浮浪者と話をするうちにすっかり気の毒になって自分のオーバーをやってしまったという話をしていたからだ。私の記憶の中では、その頃の叔父の風景画は茶褐色のイメージが強い。しかし、その頃の絵が全くと言っていいほど残っていないのはどうしてだろうか。売れたとも思えないから、おそらくキャンバスに塗った絵具を自分で削って、その上に別の絵を描いたからではないかと想像されるのだが、今となっては確かめようもない。今回このブログに叔父にまつわるエピソードをいくつか書いて、これで全部かなと思ったとたんに「永代橋」のことが蘇ってきたのである。
子供だった私は、叔父のことを「ケチ」だと思っていた。一人で外食するなんてことは滅多にないし、しゃれた服を着たいとか、そういう願望も皆無だったように思う。それは金に困っていたからということではなく、比較的裕福だったはずの若い頃からそうだったようだ。酒も煙草もやらないのは以前に書いたとおりである。しかし、享楽的でなく質素でストイックとも言える生き方を好んだというのは自分自身に対してのことであって、甥であり、かつ家で唯一の子供であった私に対しては必ずしもそうではなかったことは、このブログの最初に書いたとおりだし、この永代橋のエピソードからも叔父の人となりは伺えるのではないかと思う。
叔父の作品に、叔父のそういう性格や生き方がどれだけ反映しているかは簡単には言えないと思うが、作品を理解する上で多少の参考になるかもしれないと思って紹介したのである。 (2018.8.31)
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