叔父の思い出(6):裏磐梯
- 西村 正
- 2020年2月14日
- 読了時間: 2分
このブログを始めたころ、「叔父の思い出」というタイトルで5回書いた。そのときにも「もうこれで書くことはなくなったと思っていると不思議にも、また一つふっと思い出すことがある」と書いた記憶があるが、今回また、ふと甦ってきたことがある。それは、ある年の秋に叔父が写生道具も持たずに私を裏磐梯に連れて行ってくれたことである。私が中学校1年生のときであった。なぜそんなにはっきり覚えているかというと、私が入った中学校には「秋休み」というものがあって、1年生にはそれが珍しかったからである。生徒は文化祭の準備をしたり先生は定期テストの採点や成績処理をしたりするので一週間くらい授業がまったくないのであった。その秋休みの一日を使って叔父は私を裏磐梯へ連れて行ってやろうと言ってくれたのである。
これは当時の私にとって初めて経験する遠出であった。上野から夜行の気動車急行で猪苗代まで行き、明け方の駅前に降り立ったとき、初秋なのに冷気が立ち込めていて寒さを感じたことを覚えている。そこで裏磐梯方面へのバスを待つのだが、多くの人は登山の装備をしていたようだった。そこからあとの記憶は途切れ途切れなのだが、初めて見る五色沼のエメラルドグリーン等の水の色に驚いたことが忘れられない。それから多分、檜原湖を通って会津若松へ下りていったのだと思うが、そのあとの記憶はほとんどない。以前に紹介した猿橋や犬吠埼のときは、叔父は写生のついでに連れて行ってくれたのだが、この裏磐梯行きは写生のついでなどではなく、この世のものとは思われないほど鮮やかな青さの五色沼を私に見せてやりたいと思って連れていってくれたのだろう。だから叔父にとっては初めての場所ではなかったはずである。しかし残念ながら、叔父が裏磐梯を描いたと思われる絵は見たことがない。
余談になるが、その2年後に私は学校行事で同じ場所を訪れている。そのときも五色沼はきれいであったが、初めて見たときほどの感動はなかった。それから何年も経って、会津地方にはスキーやバイクツーリングなどで何回も訪れた。しかし五色沼へ行ったのは中学時代の2回だけである。 (2020.2.14)
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