top of page

歌田眞介『油絵を解剖する』を読む

執筆者の写真: 西村 正
西村 正
2021年5月3日
読了時間: 2分

更新日:2021年5月11日


 歌田眞介氏は東京藝術大学大学美術館館長を務めたこともある絵画修復の専門家である。この本は2002年に出版されたもので、「修復から見た日本洋画史」というサブタイトルが付けられている。内容は、高橋由一に代表される日本の初期の油絵と、黒田清輝以後の画家たちの油絵における画材の取り扱い技法の違いを述べたものである。結論から言えば、高橋由一の時代の日本人画家たちは西洋人画家たちから画材の取り扱い技法を忠実に学んだが、フランス帰りの黒田清輝らの時代以降の画家たちはそれらの技法を軽視して描きやすさのみを求め、その結果、油絵作品の耐久性が格段に衰えたというのである。そのことは絵画修復の観点から見ると一目瞭然であるという。

 私はこれまで画家の作品の画題について論じた本は何冊も読んだことがあったが、この本のような観点から油絵を論じた本に出会ったのは初めてだったので、大いに勉強になった。と同時に叔父の作品の今後について一抹の不安を覚えた。時代を考えれば、西村俊郎もまた「黒田清輝以降の画家」の一人に違いないからである。私の記憶に残っているのは、叔父が「テレピン」という言葉をよく口にしていたのと、アトリエに籠ったその油の強烈な匂いである。その匂いとともに思い出したのだが、この本の中に藤島武二の技法に触れた部分があって、「藤島先生は作品を人手に渡すとき、必ずワニスを塗布していたそうです。しかし、どんなに親しい弟子にも、何のワニスであるかは教えなかった」と話した(1932年の美校卒で、岡田三郎助教室の所属であった)塚本張夫(ハリオ)氏の言葉が載っているのだが、この塚本さんは画家仲間として叔父のアトリエによく顔を見せていたかたであった。


高橋由一「墨堤桜花」(1878年頃)


 数年前に友人と墨堤の花見に出かけたとき、私は高橋由一のこの絵を脳裏に浮かべていた。隅田川を挟んで浅草の対岸である向島あたりに、かつてこの絵のような眺めがあったとは信じられないくらい現在の景観は変わってしまっているが、実はこの絵の景色からまだ150年も経っていないのである。私は油絵の「寿命」を数十年単位で考えていたが、油絵の本来の「寿命」は数百年単位で考えるべきもののようだ。歌田氏のこの本を読んで、私は認識をそのように改めた。 (2021.5.3)


最新記事

すべて表示
インタビュー

久しぶりに「インタビュー」を受けた。いや、ひょっとすると初めてだったかもしれない。誤解を招かないように言っておくと、ここで言うインタビューとは取材のことである。それも、美術雑誌に依頼した記事を書いてもらうための取材。  ところで、人から話を引き出すのがうまい人というのは確かにいるものである。気が付くとアッという間に時間が経ち、どうも私は余計なことを喋り過ぎたような気がしてきて、少し心配になってきた

 
 
 
西村俊郎「軍馬保育」をめぐって

東文研資料の表紙  上段2行目に「西村俊郎、軍馬保育」の文字が見える  本年3/25日付のブログ記事の中で私は「軍馬育成」というタイトルの作品がある、と紹介したのだが、あとになってそのタイトルに自信がもてなくなってしまった。理由は、その作品の存在について口頭で聞いた時、実に迂闊なことであるが、文字を確かめずに記事にしてしまったのであった。実は「軍馬保育」が正しかったのだ。「ぐんばほいく」と聞いたよ

 
 
 
初の寄稿掲載---西村俊郎「大陸進攻」図版発見の経緯について

今回は、戦時中の西村俊郎に「大陸進攻」と題する作品があったことを裏付けるテキスト資料および図版の発見に尽力してくださった、私の中学・高校時代の一学年上の先輩にあたる中村徹さんの論考をご紹介します。彼とのお付き合いは主に高校卒業後に始まるのですが、以下の論考の最後にある肩書が示すように、中村さんは私とは違った意味で長年美術の世界で積極的な活動をしてきた人です。私が書くこのウェブサイトのブログ記事では

 
 
 

コメント


このサイトは洋画家・西村俊郎の作品を紹介するためにつくられました。画家の親族によって管理・運営されています。

CONTACT

ご感想、お問い合わせ等は

このCONTACTフォームよりお寄せください。

Feel free to email us from this CONTACT form. We can answer each mail.

メッセージを送信しました。

Copyright © 2018 NISHIMURA Toshiro WebGallery All Rights Reserved.

bottom of page