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洲之内徹を読む

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2022年7月14日
  • 読了時間: 5分

洲之内 徹(スノウチ・トオル)

1013(大正2)年—1987(昭和62)年

愛媛県松山生まれ。東京美術学校(現・東京芸大)建築科中退。作家、画廊経営・画商、美術評論等、多彩な分野で活動。特に「現代画廊」と、『芸術新潮』の連載「気まぐれ美術館」で知られる。


◆のちに単行本になった「気まぐれ美術館シリーズ」とは、

①絵のなかの散歩(1973年)

②気まぐれ美術館(1978年)

③帰りたい風景(1980年)

④セザンヌの塗り残し(1983年)

⑤人魚を見た人(1985年)

⑥さらば気まぐれ美術館(1988年)

の6冊。



 前々回のブログ記事に登場した、私の高校の先輩にして友人のT氏から預かった本の中に洲之内徹の「気まぐれ美術館シリーズ」の①③⑥と彼の死後出された追悼文集『洲之内徹の風景』(春秋社)などがあり、私は初めてこの人物について系統的に読むことができた。そしてこの人物にすっかり魅了されてしまった。そのきっかけはT氏のお宅で、洲之内と長くともに仕事をしてきた経験をもつG氏と会えることになり、そのためには予備知識が必要と考えたからである。それは言わば義務感から生じたものであったが、本を読み進めるに連れて義務感などはすっかり消え、私はいつの間にか洲之内徹の魅力に取り込まれていた。彼は、百歳で亡くなった私の母より3歳年上だから、言わば親の代の人である。戦前に左翼活動をして特高に逮捕されて偽装転向をしたことや日本軍の特務機関として中国奥地にいたことなどが、彼の戦後の生き方や考え方に深く関係していることは確かだろう。その点でも興味の尽きない人物だが、ここでは現代画廊との出会いに始まる彼と美術との関わりについてのみ触れてみたい。

 気まぐれ美術館シリーズの第一巻たる『絵のなかの散歩』の巻頭はいきなり、三男が京都で交通事故で亡くなった話から始まる。オートバイの単独事故であった。17ページもの紙数を費やして最後は息子の葬儀の日に見た赤まんまの花の印象から息子の命日を「赤まんま忌」と名付けたくなったこと、そして東京に戻ってから、自分の画廊に持ち込まれた千家元麿の風景画の前景に赤まんまがいっぱい咲いているのを見て因縁じみたものを感じたことを読んで、読者は最後にきて初めてこれが美術評論であったことに気づく、という巧みな構成になっているのである。

 実は私が初めて洲之内徹と現代画廊を知ったのは、これも以前のブログ記事で紹介した宇野マサシ氏の文章の中においてであったが、具体的なイメージは得られずにいた。そこで手に入れたのが、これも当ブログで大分以前に藤田嗣治関係で紹介した新潮社の「とんぼの本」シリーズの一冊『洲之内徹/絵のある一生』(2007年)である。この本は洲之内と松山、新潟、東京との関わりや「気まぐれ美術館」からの抜粋等について、洲之内を知る多彩な顔ぶれによる回想を加えて写真と文章で構成されている。洲之内が作詞した母校・松山東高校の校歌(作曲は近衛秀麿)や洲之内原作の放送劇のシナリオまで掲載されている。洲之内徹を知る上でお薦めの一冊である。

 今回、洲之内が書いたものを読んで私が思わず付箋を貼った部分は少なくないのだが、一つ紹介したいのは、叔父・西村俊郎とも関係のあった藤田嗣治についてである。洲之内は藤田嗣治について次のように書いている。


------ 絵画思考において、藤田はまことに素朴平明な作家である。近代絵画のさまざまな思想と試行が次々と相次いで起こり、ひしめきあっていたパリに長年住んでいながら、そういうものに影響されたりわずらわされたりした形跡はほとんどない。彼は終始一貫して現実的な写実主義者であり、その独特のメチエ(技術)を駆使して実在するものをありのままに表現することに熱中し、しかもぜったいに他の追随を許さない描写力をもっていることに誇りと自信を持っていたように見える。

 そこのところが精神主義者の多い日本のインテリ派の画家たちから見ればなんとも物足りなく、「味も素っ気もない」と思われるひとつの理由だろう。しかし物を巧みに描くということは、絵画のひとつの本源的な要求ではないだろうか。藤田の絵の前に立つと、だれでも「うまいもんだなあ。すごい」と感嘆せずにはいられない。理屈ぬきである。藤田の絵は、絵を見ることのよろこびを端的に与えてくれる。そこに、なんと言われようと藤田の大衆的な人気の基礎があるのだと、私は思う。

 藤田の仕事は職人芸だとはよく言われることだが、古来大作家は例外なく偉大な職人でもあったことを思えば、これもあながち悪口をついていることにはならない。むしろ藤田が世界中どこへ出してもりっぱに巨匠で通るのは、彼のこの魔術的な技術のゆえである。事実、日本人の画家で、国際的に評価の通用するのは藤田だけなのだからしかたがない。

(『芸術随想おいてけぼり』所収『新聞版きまぐれ美術館』<藤田嗣治『母子像』>より)


 勿論これが洲之内の藤田評の総てではないだろうが、私はこれを読みながら叔父の絵のことを考えていた。叔父は生涯に渡って写実技法の研鑽に力を入れてきたが、では叔父は絵を通して何を伝えたかったのかということについても私は考え続けてきた。洲之内徹が西村俊郎の絵を見たら何と言っただろうか、興味がある。最後になるが、叔父の画商であったN氏も一時期、洲之内の現代画廊で働いていたことを、G氏と話していて初めて知って驚いた。洲之内が残した住所録の中にその名前があったから確かな話であろう。 (2022.7.14

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