私がガラケーに拘る理由
- 西村 正
- 2021年4月18日
- 読了時間: 3分
前にもブログに書いたことだが、ワープロ専用機が登場したとき私は心底感動を覚えたものだ。それと前後して感心したものに「電子手帳」がある。私は学生時代から小さな手帳式の住所録を使っていたが、「あ行」など特定のページだけが一杯になってしまったり、経年劣化でページがバラバラになったりして買い替えねばならなくなったときには、また全部書き写さなければならない不便を痛感していた。最初に使った電子手帳はボタン電池を使ったシャープの製品だったが、デジタルによるデータ保存の有難さに本当に感謝したものだった。その後はPalm → CLIĒ と機種変更していったが、なぜか電子手帳というものは日本社会に定着せず、メーカーはいつのまにか日本市場から撤退してしまった。その電子手帳と前後して使い始めたものに携帯電話がある。これにも確かに感動を覚えたものだ。最初は通話機能だけだったが、やがてカタカナだけのメールの送受信ができるようになった。昔の電報のような感覚だったが、やはりその便利さに感心したものだ。そのうち漢字かな混じり文が打てるようになり、今度はカメラ機能が追加された。これは写真とカメラの関係に大変革をもたらす結果となり、確かに便利な機能ではあった。しかし私が携帯電話に求めるものはここまでだった。その後、あっという間にスマートフォンが普及して、従来の携帯電話は「ガラケー」などと呼ばれるようになって今日に至っている。
私がスマートフォンを使わない理由の第一は電池の持ちが悪いことである。その原因はおそらく「余計な」機能が多すぎるからだと思われるが、せめて「ガラケー」のように自分でバッテリーを取り換えることができるようにしてもらえないものだろうか。理由の第二は「あまりにも便利な」機能が多すぎるということだ。メインの機能が通話とメールであるということを忘れてしまうほど多くの機能が盛り込まれ、その結果として多くの人がキーボードを使ったパソコンに頼ることが減っているという現象を引き起こしているようだ。私は「キーボードを使うことが日本の文字文化に改革をもたらす」と考えてきたので、パソコン離れという現象には一種の危惧すら感じる。ちなみに、このウェブサイトを訪問する人はGoogle Analyticsによる分析を見ると「デスクトップ」と「モバイル」で(他に「タブレット」があるが)ほぼ半々となっている。理由の第三は、スマートフォンはガラケーに比べて契約料金がずっと高いということだ。これはスマートフォンでは動画などの重いデータを扱うことが増えているからだと思われるが、通話とメールがメインだったら、こんなに高くなるはずはない。
まあ、こういう考えの人は少数派かもしれないが、通信業界の方々には、そういう需要もあるのだということを忘れないでほしい。なお、私はスマホ的なものとして iPod touchを愛用している。これはスマートフォンから通話機能を取り除いたようなものだが、Wi-Fi環境のあるところでならタブレットとして使えるので、特に海外旅行のときなど大変重宝している。 (2021.4.18)
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