「絵画と写真はどう違うのか」
- 西村 正
- 2018年10月9日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年2月10日
叔父・西村俊郎は結構、議論好きなところがあり、当時まだ高校生だった私を相手に議論をしたこともあった。その頃の私は生意気盛りだったこともあって、叔父の技術には尊敬の念を持ちつつも、叔父が風景や人物をただありのままに描いているだけのように思えて、「おじちゃんの絵は写真とどう違うのさ?」と挑戦的な気持ちで叔父に議論を吹っ掛けたのだった。その議論の中身は全くと言っていいほど覚えていないのだが、そのとき叔父が丁寧に相手をしてくれたことだけは記憶に残っている。このテーマも含めて、絵画に対する叔父の考えを、私は今回このサイトの「画家のエッセイ」の編集を通じてじっくりと読むことができた。懐かしさを感じるとともに、できるものなら反論を試みて、叔父にまた議論の相手をしてもらいたいとさえ思う。
さて、このテーマで思い出すのは、数年前、戦没画学生の絵画作品の展示で有名な「無言館」を訪ねたときのことである。どの絵からも作品に込められた想いというものが痛烈に感じられて胸が苦しくなったが、その中でも、何気なく眺めていたある絵の解説を読んで私は愕然とした。【この写真はインターネットで「無言館の絵」で検索し、ダウンロードさせていただきました。】

ティータイムを優雅に楽しんでいる家族の姿。随分気取った家だなと思ったが、家族の証言によれば、「うちではこんなことはただの一度だってなかった」という。実はこの絵は「写生」ではなく、「作者の願望を描いたもの」だったのだ。しかも、これから戦地に赴かんとしている作者は家族の団欒に加わることなく、後ろからただ見守っているだけだ。絵画ではこんなことができるのか! 私はこの絵に打ちのめされた気がしたのだった。 (2018.10.9)
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