絵画の物語性---A.ワイエス展と牧野邦夫展を観て
- 西村 正

- 6月21日
- 読了時間: 3分
今回は、五月末から六月にかけて観に行った二つの展覧会について書いてみたい。一つは東京都美術館で開催中の「アンドリュー・ワイエス展」、もう一つは茅ヶ崎市美術館の「牧野邦夫展」である。ワイエス展は「東京都美術館開館100周年記念」、牧野展は「生誕100年 昭和を生きた画家 牧野邦夫 その魂の召喚」と銘打たれている。両展に共通するのは100という数字だが、私が行く気になったのは、どちらの作品も写実・具象に位置づけられ、しかも画家が時代の風潮に流されることなく生涯に渡って自分の画風に拘り続けたという点に何か感じるものがあったからだという気がしている。





アンドリュー・ワイエス(1917—2009)は米国ペンシルヴェニア州生まれの画家。年齢的には西村俊郎より8歳ほど年下ということになるが、90歳を超えるまで長生きしたという点では叔父と共通点があると感じた。作品は油彩ではなく、水彩とテンペラである。テンペラが油彩より古い絵画技法であることは知っていたが、作品を実際に観たのは初めてであった。ワイエスの名を今回初めて知った私が、彼について書けることはほとんどないと言っていいのだが、後述する牧野邦夫作品との関連で言えば、一見穏やかに見えるワイエス作品だが、そこには「物語性」とでもいうべきものが確かに感じられるような気がした。例えば、本展のポスターにもなった「クリスティーナ・オルソン」(1947年、テンペラ)における光と陰が意味するもの、「自画像」の顔つきと背景の意味、「洗濯物」および「そよ風」における風の意味は? そう考えていくと、雪景色の中に立つ「オルソンの家」にも何らかの物語性を感じずにはいられないような気がするのである。
さて、ここからは牧野邦夫展について書く。







牧野邦夫(1925—1986)は東京(現・東京都渋谷区幡ヶ谷)生まれの画家。東京美術学校(現・東京藝術大学)油絵科を卒業するも、権威的な画壇に所属することなく、生涯個展で作品を発表しながら制作を続けたという。実は牧野邦夫についても私は、今回初めてその名を聞くとともに作品も初めて観たのであった。少年の頃に憧れたレンブラントを終生敬愛したという牧野は古典的な写実技法を追求するとともに、人物画を中心に独特な絵画作品を生み出した。私は本展を観て、これまで観てきたどの画家の作品にも感じたことのないような強烈な「物語性」を感じた。牧野作品で私が最も印象的だったのは人物の眼と肉体の描写である。前者については、「姉の肖像」や「逆光の自画像」、そして「千穂の顔」に見て取れるように。そして後者については、例えば「海と戦さ」を見た時、私は咄嗟に中村正義の「源平海戦絵巻」を連想したが、牧野作品における登場人物は全てギリシャ的な美の象徴たる裸体の男女である。その特徴は芥川作品を絵画化した「南京のキリスト」や、後に夫人となる千穂をモデルとした多くの作品においても見て取れるものである。53歳の時に出会った千穂さんについて牧野はただ一言、「千穂出現」と書き残している。この短い一言を見たとき、私は感動さえ覚えた。
「市場」は、私が京都で最も愛着を感じている場所、「錦市場」を描いたものであろう。ここにも千穂が登場している。描かれているもの自体は、不可解と言ってしまえばその通りだと思う。しかし私は自分でも気づかないうちに、その不可解さの中に「物語性」を探してしまう自分がいることに気づくのである。 (2026.6.21)
※本稿における作品写真は全て、両展の展覧会図録を接写しました。
※牧野邦夫展は引き続き、足利市立美術館で開催中(6/20~8/23)。



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