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藤田嗣治についての本(2)~戦争責任ということ

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2019年7月13日
  • 読了時間: 3分

 前回の続きである。

 藤田嗣治について語るとき、父親が軍医として森鷗外の後継者であったということなど、一家が日常的に軍部との深い関係の中にいたという点を考えないわけにはいかない。そういう人脈の中で藤田は画家として戦争協力者のトップに位置付けられたのだ。しかし本人がそれを拒否したという事実はないようだから、本人の発言を見ても戦争責任と無縁であったとは言えないことは確かだろう。しかし、藤田関係の本を見るだけでも、叔父の師匠の一人である中村研一や、叔父のエッセイに登場する叔父に影響を与えたと思われる画家たちの多くが軍部に協力していたことは明らかなことであるし、叔父自身も、戦争中に横須賀の海軍基地で「将校待遇で」絵を描いていたことを家族に話してくれたことがある。

 そのことについて私の記憶に残っていることが一つある。以前のブログにも書いたことだが、俊郎の兄・羊三(私の父)は召集されて陸軍の兵士として大陸の戦場にいた経験を持っていた。その父が、叔父が海軍基地で絵を描いていたことを批判したのだ。陰口を言ったのではなく、本人に向かって直接。海軍基地に入れたのは誰かの推薦があってのことらしかった。要はそれをどう考えるかということだろう。父に言わせれば、それは「卑怯なこと」なのであった。父は自由主義者で戦争に批判的であったようだが、自分が戦場で見てきた勇敢な兵士のことをほめたたえるような一面もあった。自分自身も胸部貫通銃創で九死に一生を得て帰還している。だからと言って兄弟関係が険悪になったわけではないのだが、父のような考えは、口には出さなくても当時の日本人の一般的な感じ方ではなかったか、と私には想像されるのである。画家は戦争画で、音楽家は軍歌で、文筆家は小説やエッセイなどで、たとえ本人にその自覚がなくても結果的に国民大衆を扇動する側に身を置いていたのなら、やはりその責任を不問に付すことはできないだろう。その点は教師も同じである。私は教員としての在職中「教え子を再び戦場に送るな」という教職員組合のスローガンを常に意識しながら仕事をしてきたが、それを単なるタテマエだと思ったことは一度もない。

 人間は主義のために生きるのではなく、自分や家族の満足や幸せのために生きるのだと思う。そのためには平和が一番だ。だが考えてみれば、戦争は常に「平和のため」ということで行われてきたのであった。戦争になれば使える人間は「報国」の名の下に動員される。逆らう人間や使えない人間は冷遇され抹殺される。そうしなければ戦争を遂行することなどできないからだ。だから、そうなる前に騙されないようにしなければ。とにかく、正義や勇ましいことを声高に言う人間には要注意だ。 (2019.7.13

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