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藤田嗣治展を見て ~西村俊郎と藤田嗣治の接点、「戦争画」のこと~

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2018年9月21日
  • 読了時間: 2分

更新日:2019年2月10日

 藤田作品はポーラ美術館のコレクションを何回か見たことがあったが、今回の東京都美術館の回顧展は圧巻であった。技術の巧みさは言うまでもないことだが、私が圧倒されたのは、この画家の持つ好奇心の豊かさとチャレンジ精神である。それを一言で言えば、「この人は何でも絵にしてしまうことができるんだ!」という感想に尽きる。まさに、もう一度行ってみたくなる展覧会であった。

 西村俊郎は本郷絵画研究所で藤田嗣治の指導を受けたことがあるという。それは「戦争画」についてであった。画家に限らず、当時はあらゆる芸術家が、戦争遂行という国策に協力するか、創作を断念して沈黙するか、あえて反旗を翻すか、という選択を迫られたのだ。本人の言によれば、西村俊郎は戦争中横須賀の海軍基地で「将校待遇で」絵を描いていたというから、上記の3分類に従えば戦争責任を問われてもしかたがないかもしれない。本人はあまり多くを語らなかったが、基地にはかなりの人数の画家がいたようだ。藤田嗣治は戦後そういう日本人画家のスケープゴートのようにされて非難され、その後日本を離れ、日本国籍を捨ててフランス国籍を取得したことは、よく知られている。

 今回の回顧展での「戦争画」は、有名な「アッツ島玉砕」と、「サイパン島同胞臣節を全うす」の2点。2点とも悲惨な場面であり、とても「戦意高揚」を目指したものとは思えない。むしろ「反戦的」とさえ思えるものである。特に後者は婦女子を主体とする非戦闘員の「自決」をテーマとしていて、見る者に与えるショックは前者より大きいと言えるだろう。藤田は「戦争画」に物語性を込めたのだと解説されているものを読んだことがあるが、確かにそう思える。前者のアッツ島の絵は、青森で展示されたとき、その絵の前に跪いて拝んでいる老人がおり、それを見た藤田は創作意図の成功を喜んだという。しかし、作品のタイトルというのは画家本人が付けたものなのだろうか。私はタイトルなどないほうがいいようにも思うが、どんなものだろうか。

 ちなみに、西村俊郎が描いたはずの「戦争画」は、私の手許には一点も残されていない。

2018.9.21

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