top of page

西村俊郎と藤田嗣治の接点を探して

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2020年5月1日
  • 読了時間: 2分

 コロナウィルス禍はあらゆる人の集まりを阻害しています。本日はメーデーですが、集会やデモは軒並み中止されました。日本でメーデー集会が中止されたのは二・二六事件が起きた1936(昭和11)年からの10年間以来のことだとか。今はまさに戦時中にも匹敵する異常事態なのだろう。

 今回はまた「戦争画」のことである。

ree

 以前に紹介した笹木繁男氏の著書、『藤田嗣治 ----その実像と時代----』(上巻、2019年)に続いて出版された同書の下巻(同年)は1943(昭和18)年以降の記録をカバーしており、上巻同様、藤田に関して集められる限りの具体的資料を掲載した労作である。西村俊郎は藤田の指導を受けたことは語っていたものの、日記などの詳しい記録を残さなかったので、私はこの下巻の中に、叔父と藤田の接点を探そうとした。その結果として判ったことは、

① 1944(昭和19)年3/8から4/5まで開催された「陸軍美術展覧会」(朝日新聞社、陸軍美術協会共済/陸軍省、情報局後援/東京都美術館)の一般部門の招待者として「西村俊郎」の名前が見られる


② 同年5/17から6/9まで開催された「第8回海洋美術展」(大日本海洋美術協会、海軍協会、朝日新聞共同主催/東京都美術館)の一般出品作家として「西村俊郎」の名前が見られる

という2点であった。②については当ウェブサイトの「資料室」に作品の写真があるが、①については写真もなく、タイトル等も不明である。ただ、出品の事実だけは確認できたのである。しかし、叔父がどこで藤田の指導を受けたのか確認できる資料を笹木氏のご著書の中に見つけることはできなかった。以下は私の想像だが、可能性がある場所として考えられるのは、東京の本郷絵画研究所か、横須賀の海軍基地ではないかと思われるが、確証はない。 (2020.5.1

※このブログのテーマの一つとして「戦時下では芸術家たちがどのような生き方を強いられたか」ということに触れてきました。それは「芸術家の戦争責任を追及するため」というよりも「忘れてはいけない事実として確認しておきたい」と考えたからです。このテーマに直接関わる記事は現在、以下の通りです。


◆藤田嗣治展を見て~西村俊郎と藤田嗣治との接点、「戦争画」のこと~

(モノローグ8、2018.9.21)

◆岡田三郎助『民族協和』を巡って (モノローグ18、2018.12.16)

◆藤田嗣治についての本 (モノローグ28、2019.7.9)

◆藤田嗣治についての本(2):~戦争責任ということ (モノローグ29、2019.7.13)

◆藤田嗣治についての本(3):『旅する画家 藤田嗣治』(モノローグ30、2019.8.31)

 そして今回は6回目ということになります。

最新記事

すべて表示
ブログ記事公開順一覧表

当ウェブギャラリーがオープンしてから、本日で7年が経ちました。振り返ってみると、この間に増殖してきたページは「管理者のブログ」の記事ばかりだったように思います。記事の総数は150本を越えました。カテゴリー別では、先にスタートした【モノローグ】が72本、後発の【アート・カフェ...

 
 
 
高階秀爾を読む:「名画を見る眼 Ⅰ・Ⅱ」

高階秀爾(タカシナ・シュウジ1932–2024)が昨年10月に亡くなってから、私はNHK-Eテレの番組「日曜美術館」のアンコール放送で、初めて高階と辻󠄀惟雄(ツジ・ノブオ)の対談を視聴した。二人は同年齢である。高階の著書である「名画を見る眼」(岩波新書)の存在はかな...

 
 
 
せん妄体験

*譫妄(せんもう)----- 外界からの刺激に対する反応は失われているが、妄想・興奮・うわごとなどの続く意識障害。(「新明解国語辞典」第七版より)    今年、2024年は私の干支、辰年であった。還暦から12年。辰のイメージ通り、思えば例年より何事においても動きの激しい年で...

 
 
 

Comments


このサイトは洋画家・西村俊郎の作品を紹介するためにつくられました。画家の親族によって管理・運営されています。

CONTACT

ご感想、お問い合わせ等は

このCONTACTフォームよりお寄せください。

Feel free to email us from this CONTACT form. We can answer each mail.

メッセージを送信しました。

Copyright © 2018 NISHIMURA Toshiro WebGallery All Rights Reserved.

bottom of page