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「画家の思いをどうつなぐ」に込められた意味

執筆者の写真: 西村 正
西村 正
5月27日
読了時間: 4分
左から、「パリ風景」(6F)、「ニースの海」(10F)、「渓流(奥入瀬)」(10F)
左から、「パリ風景」(6F)、「ニースの海」(10F)、「渓流(奥入瀬)」(10F)
左から、「南紀の海」(4F)、「公園風景(パリ)」(8F)、「田子漁港」(20F)
左から、「南紀の海」(4F)、「公園風景(パリ)」(8F)、「田子漁港」(20F)

 本年10/10から西村俊郎展が30年ぶりに開かれることをお知らせしましたが、実は出品作品の選定は昨年の晩秋にはすでに決まっており、それまで自宅に掛かっていた作品も年末には搬出のために一か所に移動されました。それに伴って空いた壁には別な作品が掛けられることになりました。その一部がこの写真です。普段人目につく所に掛かっていたものは大体が風景画だったので、その替わりになるものも自然と風景画になったのですが、家の中の風景はがらりと変わりました。それは私にとって不思議なほどに新鮮な発見でした。

 今回の展覧会のコンセプトは「画家の思いをどうつなぐ~西村俊郎の画業回顧から」です。文言の後半は西村俊郎の回顧展であることを示していますが、前半の「画家の思いをどうつなぐ」は私を含む遺族の課題と言えるでしょう。すでにこのサイトでも紹介してきた通り、私は幼少時から画家である叔父の身近にいましたが、世田谷時代はアトリエで制作する叔父の姿を見ることはあっても、その作品を家の中に展示することは全くなかったのです。もちろん、主にデパートの美術画廊で開かれてきた展覧会に行って作品を観ることはありましたが、家の中に作品を掛けて日常的に眺めることができるようになったのは、叔父がフランスから帰国後に建てた横浜の現在の家で叔父と一緒に住むようになってからのことでした。この家は初めから玄関ホールなどに叔父の作品を展示できるように設計されて建てられたのです。世田谷の家にあったような大きなアトリエは作れませんでしたが、作品を保管するスペースもそれなりに作られており、それは現在のところ二部屋に渡っています。作品数は大小合わせて千点を超えますが、市場で取引された作品が多いとは言えず、残された作品の維持管理は遺族にとっては正直なところ、かなりの負担となっています。できれば、あちこちの美術館に収蔵してもらえるならそれに越したことはないのですが、美術界の現状では、どこの美術館でも「収蔵庫が足りないためご期待に沿えません」という理由で断られるのが常なのです。それが画家の遺族にとって最大の悩みの種です。

 しかし、そういう実情は別としても、今回の展覧会の会期が迫るのを前にして準備が進む中で、私が考え始めたのは、自分は「画家の思い」というものを一体どれだけ知っているのか?ということでした。ひょっとすると、そのようなことを真剣に考えたことはただの一度もなかったような気さえしたのです。叔父がなぜ職業画家になったのか?なんて、考えたこともなかったくらい、私が物心ついた時から叔父は私の身近にすでに一人の画家として存在していたのです。

 西村俊郎は北海道から東京に出てきて21歳頃から本郷絵画研究所で主に人物画を岡田三郎助に学び、その後藤田嗣治に戦争画の指導を受けたこともあり、戦後は光風会で中村研一の指導を受けましたが、長い間メインは人物画だったようです。しかし1960年頃から日本中を旅行して専ら風景画を描くようになりました。人物画家から風景画家への移行ということですが、実は叔父にはそれと並行して「馬の画家」という側面があったのです。東京競馬場の競馬博物館にある顕彰馬のコーナーには、ハイセイコーなど、西村俊郎による作品が5点入っています。そのパンフレットの作家紹介のページには「西村俊郎 明治42年小樽市生まれ。幼い頃、街なかには荷馬車がよく走っており、4~5歳ごろから馬のスケッチを描いていたという」と紹介されています。さらに今年になって西村俊郎の戦時中の作品の図版が2点発見されましたが、そのうちの1点「大陸進攻」は日本軍兵士が軍馬とともに中国の平原を進軍する場面を描いたもので、人物、馬、平原の風景によって構成されています。おそらく本人にとって自信作だったものと思われます。しかし叔父が戦前・戦中の作品について語った記憶は私にはなく、実際の作品も見たことがありません。西村俊郎にとって私はただ一人の甥ですが、叔父はよく「自分にとって作品は子供のようなものだ」と言っていました。 

 話を「画家の思い」に戻します。私が多少なりとも企画に関わったのは、叔父の生前最後の展覧会となった1996年の大丸展と1997年の相鉄ギャラリー展だけですが、気になることがあるとすれば、出品作品の選定がどうしても私好みになってしまったと思われることです。もし本人または叔父を知る他の人が中心となって選定したら違うものを選んだのかもしれないと思うと、ひょっとしたら私は「画家の思い」を尊重していなかったのかもしれないという不安が残ります。しかし少なくとも生前最後の二回の展覧会について叔父本人が異を唱えたことはありませんでした。(2026.5.27)

 
 
 

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