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初の寄稿掲載---西村俊郎「大陸進攻」図版発見の経緯について

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 4月27日
  • 読了時間: 7分

 今回は、戦時中の西村俊郎に「大陸進攻」と題する作品があったことを裏付けるテキスト資料および図版の発見に尽力してくださった、私の中学・高校時代の一学年上の先輩にあたる中村徹さんの論考をご紹介します。彼とのお付き合いは主に高校卒業後に始まるのですが、以下の論考の最後にある肩書が示すように、中村さんは私とは違った意味で長年美術の世界で積極的な活動をしてきた人です。私が書くこのウェブサイトのブログ記事では「N氏」という名で何回か登場していただいていますが、読者の皆様に本名をご紹介するのは今回が初めてです。以下は中村徹さんの文章です。


 

西村俊郎作品「大陸進攻」昭和19年 資料を発見

 

 2026年2月11日、『物語昭和洋画壇史Ⅱ』(匠秀夫著 刑文社 平成元年発行)の付録 戦争美術展に、西村俊郎「大陸進攻」が掲載されているのを発見した。陸軍美術展集目次(昭和19年7月)の項だった。作品図版は掲載されていない。2月末、あるオークションで『陸軍美術展集昭和19年7月』を見つけ、買い求めた。西村俊郎の「大陸進攻」作品も図版とともに掲載されている。平原における、人馬を含む群像表現の作品だ(図版別項の通り)。西村俊郎研究に資するため、本資料発見の経緯を書き留めておきたい。

 今年10月10日から、横浜本牧絵画館で「画家の思いをどうつなぐ 西村俊郎(1909~2000年)の画業から」展が開催される。西村俊郎は私の友人西村正さん(私と中学高校の同窓生)の叔父で、正さんは、俊郎没後、アトリエに残された大小あわせて千点を超す俊郎作品を保存・管理してきた。折々に展覧会を開き、叔父の画業を顕彰している。

 私も俊郎作品を、「画業60年西村俊郎油絵作品 1996年」など展覧会が開催される都度観てきた。俊郎は、戦前岡田三郎助、藤田嗣治に師事、戦後は光風会に所属して中村研一の指導を受けた。風景画や馬の絵などを描く、写実を旨とする温雅(温和)な画風の絵描きさんと私には映っていた。正さんは、叔父の作家人生を、島村洋二郎(東御市梅野記念絵画館で2026年「島村洋二郎展」開催)などに比べれば、「平凡な画家だ」と私に語ったことがある。

 このたび横浜本牧絵画館での展覧会が決まり同館の展覧会スケジュール2026--2027をみると、「西村俊郎画業回顧から」の項に、俊郎は「戦争画」も手掛けた、との一文があった。俊郎が、戦時中、戦争の美術、銃後の光景を、何か描いていたのではないかとの話は正さんから聞いていたが、具体的にどのような作品をいつ描き、展覧会に発表していたかなどは不明で、遺族にも伝わっていない。わずかに、「海女」作品(昭和19年 海軍軍人向け雑誌「戦線文庫」70号口絵所収)の存在が、2023年に初めて明らかになっただけだ。遺族が古い食器を処分しようとしたとき、包んでいたしわがよった紙を見ると、その紙が「戦線文庫」70号の口絵部分で、「海女」作品 西村俊郎の名前が記載されており、そこに「海女」作品の図版があったはずであることに気づいた。この作品は、銃後の海女を描いた作品であった。笹木繁男(1931~2024年 元現代美術資料センター主宰者)著『藤田嗣治 下巻』 p.120 の【第8回海洋美術展 海軍省委嘱画と一般出品作家名】の一般出品作家の項に、西村俊郎の名前の記載がある(この発見の経緯は、西村正主宰の「西村俊郎ウェブギャラリー」参照。図版も掲載)。

 私は昨年10月、東京国立近代美術館で開催された「コレクション展を中心とした特集 記録をひらく 記憶をつぐむ」展に行った。この展覧会には、戦争の美術も多数展示されていた。また今年1月には板橋区立美術館で「戦後80年 戦争と子どもたち」展も観。私はこれらの展覧会にも触発され、俊郎が「戦争画」も手掛けたことについて初めて深く考え始めた。

 手許にあった笹木繁男「廃棄・焼却の命に抗し、戦争画を救った二人の画家」(構造第13号 2000年5月所収、構造出版部)を読む。二人の画家とは、奈良岡正夫(女優・奈良岡朋子の父)と山田新一である。この文の詳細は省くが、私が注目したのは、敗戦直後の戦争画の公的機関の所有状況(陸軍・海軍関係等)と、日本側の収集担当者の一人であった藤田嗣治に関する記述である。戦争画の保存先についても、陸軍・海軍関係別に記載がある。藤田は、戦争画の制作に深く関わっていた。その藤田に師事した俊郎も、戦争の美術に何かしら関わり、作品を発表していたのではないか、との思いに至る。

 次に、『月刊美術の窓』(1991年8月)「特集・戦争画を考える」には、戦争画について、美術評論家、美術関係者、美術ジャーナリストにアンケートを実施し、「58人に聞くPart1」として掲載されている。そのなかで、中村傳三郎(1916~1994年、美術史家)は、「戦争画の評価は別にして、事実として、公衆の面前にもっと出すべきだと考えているか」の質問項目に「出すべき」と回答、「美術史の中で、戦争画をどのように位置付ければ良いか?」との質問に、「既に匠秀夫著の『物語昭和洋画壇史Ⅱ`生きている画家たち`---閉塞の時代1934-1945』(刑文社 平成元年発行)が扱っておられるので、大へん参考になる」と回答している。

 改めて、別件の資料として古本屋から求めていた『物語昭和洋画壇史Ⅱ』を1ページずつ繰る。俊郎が海軍展に作品発表していれば、陸軍展にも発表したのではないか? そして、同書付録戦争美術展の項、陸軍美術展集目次(昭和19年7月)のページに西村俊郎「大陸進攻」が掲載されているのを発見する。すぐに正さんに連絡する。前掲書 笹木繁男著『藤田嗣治 下巻』 p.115 【1944年3月開催の陸軍美術展覧会の出品作】の項に西村俊郎の名前のみの記載あり。同書p.136に【1945年陸軍美術展覧会の出品作】の項に西村俊郎の名前の記載がある。同書のなかで西村俊郎の名前の記載は3箇所確認できた。そして、生成AIの助けも借りYahooオークションで『陸軍美術展集 昭和19年』を発見、入札に参加・落札する。届いた同美術展集で「大陸進攻」作品図版が掲載されていることを確認した。

 以上が、資料をつなぎ西村俊郎「大陸進攻」掲載資料発見に至った経緯である。記憶(記録)の継承は難局であるが、美術史の細い糸はつながるとの感が湧く。(ここで、戦争画といわれるものが描かれた戦前・戦中に関して、誤解を生むことがないことを願って、一つお断りをします。戦時中を生きた絵描きにとって、現在戦争の美術といわれる、戦争画、戦争記録画、銃後の様子、大陸南方の風景等を描くことは、普通のことでした。決して特別なことではなかった、と理解しています。ただし、作戦記録画等は、陸軍や海軍から正式に委嘱を受けた、選ばれた画家が描いた作品であり、それらの作品が描かれたこともあり、戦争画といわれるものが、当時の戦意高揚の役割を担ったこともまた事実でした。)

 西村俊郎「海女」「大陸進攻」作品は、図版をみる限りではあるが、力作である。表現力が優れている。しかし、35歳で描いたこれら作品のことを俊郎は遺族に語らず、ほとんど伝えていない。俊郎作品の保存者・正も、作品「海女」の存在は知っていたが、それが広い意味での戦争美術に当たるものとは考えていなかった。「大陸進攻」作品については、その存在すら知らなかったという。

 俊郎は、戦前・戦中の自らの画業を封印し、戦後の画家人生を送ったように見える。その思いは、推し量るほかない。戦争画をめぐっては、当事者はさまざまな事情(GHQによる戦争加担者への追及など)から、戦争画を描いたことに触れることが少ないのは通例である。多くの場合は、触れない。さらにいえば隠される。その気持ちを軽々に論じることは難しい。西村俊郎も自ら描いた戦争中の絵画については、戦後遺族に能動的に伝えることを封印したのだろう。

 10月からの西村俊郎展を前に、俊郎の若き日の作家人生の一端がこのように明らかになることは、画家人生の跡付け(ストーリーの拡充)に資するものと考えます。また次の世代への作品保存の一助につながれば、と思う。

(文責: 美術ウオッチャー、アート・ドキュメンテーション 中村 徹 2026.3.27)



中村 徹(なかむら・とおる)略歴: 1951年、東京都生まれ。大学卒業後、大田区役所、(公財)大田区文化振興協会に勤務。在職中に「大田区・東御市友好都市10周年記念特別展」「美の狩人 梅野コレクション」展(大田区立龍子記念館 2006年)の企画・開催に携わる。退職後、父・中村傳三郎の「旧蔵資料」を東京文化財研究所に寄贈(2016年)。「中村徹コレクション展/中村傳三郎生誕100年記念小品展」(ギャラリーゴトウ 2016年)開催。「中村傳三郎美術評論集成」(藤井明編 国書刊行会発行 2018年)刊行。「箕口博彫刻展」(梅野記念絵画館 2007年)、「五百住乙人展」(梅野記念絵画館 2008年)、「陽咸二展」(宇都宮美術館 2023年)等、展覧会開催に協力、作品・資料提供。現代美術資料センター(故笹木繁男主宰)に2013年より協力、資料提供。

現在: 美術ウォッチャー アート・ドキュメンテーション



 中村さんには、本年10/10から横浜本牧絵画館で予定されている西村俊郎展の企画においても協力していただいています。また、この「大陸進攻」の図版発見に続いて、同館の武田由隆館長によって西村俊郎「砲撃配置につく」の図版が新たに確認されたことをここでご紹介します。なお、この2点については、実際の作品の存在は今のところまだ不明です。(2026.4.27


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