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世田谷美術散歩(玉川地区)

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2020年10月10日
  • 読了時間: 3分

 コロナ禍の昨今、私は人に会うのに最も適したスタイルは「散策」であるという結論に達した。人数は二人に限らざるを得ないが、そこは仕方あるまい。二人での散策ならば「3密」も避けられる。というわけで先日、珍しく妻と二人で世田谷区の奥沢から深沢にかけて「世田谷美術散歩」とでも呼べそうな散策をしてきた。

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自由が丘駅南側のピンクマークが「宮本三郎記念美術館」


都立大学駅西側のピンクマークが「ギャラリー・セントアイヴス」



 東横線の自由が丘駅から向かったのは「宮本三郎記念美術館」である。洋画家・宮本三郎(1905—1974)は叔父より4歳年上だが70歳を目前にして亡くなっている。故郷の石川県小松市にも美術館があるが、奥沢は自宅アトリエがあった場所であり、遺族が4000点近い作品と土地を世田谷区に寄贈して現在は世田谷美術館の分館として同美術館が建っている。平日ということもあってか他の来場者に出会うことなく「貸し切り状態」でゆっくり作品を鑑賞することができた。私がこの美術館に来たかったのは、宮本が叔父と同年代の具象画家であるということと、世田谷美術館の分館として位置付けられているこの美術館がどのような場所か見ておきたかったからである。世田谷美術館の分館は、かなり以前に「向井潤吉アトリエ館」を母と一緒に訪ねたことがあった。余談だが叔父自身も生前、向井さんをご自宅に訪ねたことがあると言っていた。同アトリエ館は遺族が画家の自宅を寄贈したものだと聞いている。

 さて、私が宮本三郎記念美術館で一番印象的だったことは、宮本が30代のとき在仏中に描いたレンブラント『聖家族』の模写が展示されていたことである。西村俊郎には名画の模写をした形跡がない。それはおそらく何歳で渡欧したかということと関係があるのだろうけれど、私は叔父に模写作品がないのは残念なことだと感じた。もう一つ印象に残ったのは宮本が都会の夜景を描いていることである。その絵の前に立ったとき、私は意表を衝かれたような新鮮さを感じた。特に印象に残った、この二つの作品について載せる写真が手元にないのが返す返すも残念だが、要は宮本三郎という人は本当にお洒落なセンスを持ち合わせた人だったのだなと思ったことである。

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 次に向かったのは深沢にある「ギャラリー・セントアイヴス(St. Ives)」である。バーナード・リーチの工房があるイングランド・セントアイヴスを店名とするこの店は「現代イギリス陶芸」の作品を多数展示販売している。書棚にはイギリス陶芸に関する本も多数置かれている。ふと見ると、以前にこのブログ記事で紹介した原田マハの『リーチ先生』があったので訊いてみたところ、この店の井坂浩一郎さんは原田マハのセントアイヴス現地取材に同行した一人であるということであった。私の妻は陶磁器が好きで、栃木県の益子や栗田美術館の他、京都府大山崎町のアサヒビール大山崎山荘美術館などにも一緒に行ったことがあったが、イギリスの陶芸作品を主体とする店は初めてだったので大いに喜ばれ、お蔭様で久しぶりに二人で愉しく平和な一日を過ごすことができた。 (2020.10.10

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