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中村研一の人物画を観る

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2020年12月8日
  • 読了時間: 2分

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 12月に入って会期末が迫った『ふたたびの北京官話----中村研一が描く人体のフォルム』展を訪れた。小金井市立はけの森美術館は当ウェブサイトで2年前のブログ記事でも取り上げたが、館名に「中村研一記念」と銘打たれていても中村研一作品の多くが常に展示されているわけではないので、今回の展覧会は私としてはぜひとも観ておきたいものであった。「叔父の師の作品を観る」と題した私の2年前のブログ記事では、中村研一先生の人物画を系統的に観る機会がまだなかったため(私が初めて同館を訪ねたときは日本の巨匠たちの風景画を集めた展覧会が開催中であった)、岡田三郎助、藤田嗣治両先生の「代表作」には人物画を選んだものの、中村先生の「代表作」としては『大雪山』と題する作品を選んだのだった。しかし、今回やっと人物画を系統的に観る機会を得て、この画家の本領はやはり人物画にあるのだとの感想を持った。中村研一に師事した当時の西村俊郎は自分を「人物画家」と位置付けていたのだから、当時中村先生が人物画家の大家と目されていたのは当然のことであろう。ここでは写真で紹介できないのが残念だが、本展で私が最も感銘を受けたのは、展示作品の最初の3点、『フランス婦人像』『K氏肖像』『K夫人肖像』である。会場に入って最初に観たからそう感じたのか、それとも、この3点を敢えて最初に展示したのかは判らないが、全部観ての感想がそうなのである。

 本展の名称ともなっている『北京官話』だが、この作品のモデルは明らかに富子夫人である。制作年は1940(昭和15)年、日中戦争の只中だ。解説によれば、当時チャイナドレスなどの「民族服」を着た女性を描くことが画家たちの間で流行したとのことである。ここで言う「民族服」とは当時の日本の軍事的勢力下にあった「大東亜共栄圏」内において日本人にとって異国情緒が感じられる服装のことであろう。しかしタイトルはなぜ「北京官話」なのだろう。北京官話とは、当時の呼び方で標準中国語のこと。もっと正確に言えば、言語的に漢民族に同化してしまった満洲人貴族や清朝政府の高官たちが話していた中国語のことであって、最も正統な中国語と見なされていた言葉である。おそらく、そんなことはわかっていた上で付けたタイトルに違いないとは思う。そんなことを考えながら私は、以前藤田嗣治や私の叔父についても触れた、画家の「戦争責任」の問題をふと思った。この作品が描かれた翌年、日本は米国を相手に真珠湾攻撃に踏み切り、転落への道にまた一歩を踏み出したのである。 (2020.12.8

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