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久米民十郎「支那の踊り」@神奈川県立近代美術館葉山

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2024年1月28日
  • 読了時間: 3分

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 発端は昨年12月12日の朝日新聞夕刊であった。あたかもブレた写真のように見える踊子の姿。一体誰の絵か? いつの絵か? 解説を見れば、1920(大正9)年に描かれたものだという。作者は久米民十郎(クメ タミジュウロウ 1893—1923)。西村俊郎より16歳も上の人ではないか! しかも1923年に30歳という若さで亡くなっている! 関東大震災の年に! 調べてみると、それも地震が起きた9月1日に! 横浜で!                

 会期末も近い1月16日に私は神奈川県立近代美術館葉山へ向かった。私にとって葉山館は初めてであった。「100年前の未来 移動するモダニズム 1920--1930」と題する本展は “chapter i: ふたつのエロシェンコ像から---東欧、ロシア、日本““chapter ii: タミの夢---ロンドン、ニューヨーク、パリ、横浜” “chapter iii: モダニズムのパノラマ---フランス、アメリカの滞在画家たち” “chapter iv: 日独文化往来---ベルリン、デュッセルドルフ、東京” “chapter v: MAVOからはじまる都市と造形” “chapter vi: 上海1931---魯迅と「木刻運動」”という六つの展示室が続く膨大な量の展示物から成っており、私はその一つひとつを時間が経つのも忘れて鑑賞した。それらの展示物を網羅した図録には、館長の水沢勉氏と筑波大学名誉教授の五十殿(オムカ)利治氏による詳しい解説が載っているので、ここでは繰り返さないが、私はこの見事な企画に圧倒されたのであった。ただ久米民十郎は、やはりこのテーマの中心的人物であると思うので、彼の略歴と私が興味を惹かれた部分についてだけは触れておきたい。

 

 久米民十郎は1893(明治26)年に東京に生まれ、学習院中等科・高等科に進学した。父は土木技術者で実業家、弟は建築家。21歳で渡英し、ロンドンの美術学校に学ぶ。黒田清輝や藤田嗣治、詩人のウィリアム・バトラー・イェイツとも交流があった。25歳で帰国後、文展や帝展に入選。「支那の踊り」は27歳での初個展に出品した作品である。その後渡米し、さらにロンドン、パリと拠点を移す。一時帰国するも、1923(大正12)年9月1日、横浜のホテルに滞在中に関東大震災に遇い、30歳で死去。


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 久米民十郎「Off England」1918年


  普門 暁「鹿・光」1919年

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パリモフ「踊る女」1920年


神奈川県立近代美術館葉山から伊豆大島が見えた(左側)




 久米は国内外の多くの人たち(画家に限らず!)との交流の中でおそらく技術的にも思想的にも新たな挑戦を試みたに違いない。ここに紹介する作品には明らかに「モノの動きを画面上にどう描きあらわすか」という画家たちの挑戦が見て取れる。本展のチケットにも載った久米の「支那の踊り」も1920年の作品である。 (2024.1.28

 

 ※本日は同展の最終日となってしまった。葉山の海岸に位置する同館からは、冬の今は右手に富士山が、左手には伊豆大島が見えた。(残念ながら、富士山は写真には入りませんでした。スミマセン)

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