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小林徳三郎回顧展@東京ステーションギャラリー

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 16 時間前
  • 読了時間: 3分
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 小林徳三郎という名前を見て、はて?と記憶を頼りに思い出そうとすると、叔父・西村俊郎のエッセイに辿り着いた。それは、こんな感じの記述であった。これは1996年発行の画集 『--画業60年--西村俊郎油絵作品集』に載せた叔父のエッセイ 「思いでのままに」 の中の一節である。小林徳三郎(1884—1949)は叔父より25歳年上で、65歳で亡くなっているから、千葉県の外房・太海の旅館で会った時は小林が仮に63歳だとすれば叔父は38歳だったことになる。もしそうなら、それは1947(昭和22)年頃のこと。叔父が光風会に所属して間もない頃である。叔父は小林徳三郎が「春陽会の長老」であることを知っていて一目置いていたのは確かのようである。実は私は今日まで小林徳三郎の作品を見たことがなかったので、叔父の文章を読んだ時、叔父との画風の違いというものに思いを致すことが全くなかったのであった。ただ、当ブログ記事の「春陽展&光風会展@国立新美術館」(2024年4月15日)で書いたように、叔父が所属していた光風会と小林徳三郎の春陽会には画風や雰囲気にかなりの違いがあることは知っていた。今回私が初めて興味を持ったのは、当時の叔父は春陽会や小林徳三郎についてどれだけ知っていたのだろうかということである。残念ながら、そういうことについて叔父の口から聞いたことは一切なかった。叔父は初めて北海道から東京に出てきた時、池袋に近い椎名町に住んだと言っていたが、いわゆる池袋モンパルナスの影響を受けたことは全くなかったようだ。私はそのことを知って、ちょっと残念に感じたものである。

※叔父のエッセイ 「思いでのままに」 は当サイトの「画家のエッセイ」のページに全文が載っています。


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 本展のチラシに選ばれたこの作品は画家が、金魚を見つめている息子を描いたものだが、小林作品の雰囲気を代表しているように感じられた。展示は〈第1章 洋画家を目指して〉、〈第2章 大正の大衆文化のなかで〉、〈第3章 画壇での活躍〉、〈第4章 彼の日常、彼の日本〉の4章に分けられていたが、私の印象としては、第2章が膨大で小林と舞台美術との関わりの深さを大いに感じさせるものであった。つまり小林徳三郎は演劇をはじめとする「大正の大衆文化のなかで」羽ばたき活躍した画家であったのだ。おそらくそれは、西村俊郎があまり関心を持たなかった世界であったように思われる。

 私がこの展覧会に興味を持ったのは、会場の「東京ステーションギャラリー」とはどういう場所なのか見てみたいと思ったからでもある。現在の東京駅丸の内駅舎は1914(大正3)年の開業当時の姿を2012年に復元したものである。ギャラリーは、この模型の左側のドームの中に位置している。


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 本展は私にとって小林徳三郎の魅力の「発見」の場となり、復元された東京駅丸の内駅舎のドーム内の雰囲気を楽しめる貴重な機会となりました。気分を良くした私は、そのあと学生時代の友人と内神田の銭湯を訪ね、さらに神田駅前の居酒屋で、ささやかな忘年会となりました。 (2025.12.22



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