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小貫政之助作品との出会い

  • 執筆者の写真: 西村 正
    西村 正
  • 2020年3月14日
  • 読了時間: 2分

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←「父子像」(F12号、1951年、油彩、板)

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↑「風景」(F8号、1954年、油彩、キャンバスボード)


 ※「没後30年・小貫政之助 語りえぬ言葉」展 図録から接写させていただきました。


 小貫政之助は1925(大正14)年に東京で生まれ、1988(昭和63)年に63歳で亡くなっている。私の叔父・西村俊郎より16歳年下である。小貫は一時、叔父と同じ本郷絵画研究所で学んだことがあったらしい。私は今から一年半ほど前に、武蔵野市立吉祥寺美術館で初めて小貫政之助の展覧会を観た。新聞に載った紹介記事で興味をそそられて観に行ったのだが、初めて観る小貫作品に強いインパクトを受けたことが忘れられない。特徴的だと思ったのは自画像が多いことである。それもほとんどすべてが暗くて苦しそうな顔。初めて子供が生まれて父になったときでさえ喜びに溢れた顔には見えない。風景画にも何か悲しみが漂っている。他には、”女”と”花”の絵が多かった。


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←「花」(F4号、制作年不詳、油彩、

ミクストメディア、板)


 今年に入ってから、銀座の画廊が小貫の小品を集めた展覧会を開いていることを友人に教えられて行ってみると、私はそこで小貫の「花」の絵に再会した。そして衝動的に買ってしまった。私にとって決して安い買い物ではない。小貫の描く花の絵は、小貫の作品の中では唯一明るくて綺麗なものに思えたが、そのことだけをもって私は自分の衝動を説明することができない気がしている。では私はなぜ衝動的にこの作品を買ったのか? おそらく自分でも気がつかないうちに私は小貫の作品群と繋がっていたいと感じたのではないかと思うのである。

 叔父は小貫のような絵を描かなかった。花を描いても小貫のようには描かなかった。たとえ同じ花を描いても画家によって出来上がる作品は違ってくる。それは画家がそこに見ているもの、表現したいと思うものがそれぞれ違うからだろう。前にも書いたことだが、私が他の画家の絵を買うのは、そうすることによって叔父・西村俊郎の絵を相対的に見ることができるようになると感じるからである。もちろん自分の目で見て良いと思い、そして自分で買える値段の絵しか買えないが、それは身銭を切ることによってしか得られない勉強であると思っている。 (2020.3.14

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