岩田榮吉と横浜本牧絵画館
- 西村 正
- 2021年1月14日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年1月21日

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岩田榮吉「赤いベストの自画像」
(F25号 1967年)
昨年12月上旬、当ウェブサイトを見た人から1通のメールが届いた。横浜本牧絵画館の館長・武田さんという方からで、何とそれは、親族が残した作品を紹介するという「同じようなこと」をやっていることに対するエールであった。ありがたいことであったが、よく考えてみると、こちらは「ウェブギャラリー」というバーチャルなものに過ぎないのに対して武田さんのほうはリアルに私設美術館を運営しておられるわけだから、まさに恐縮の至りであったが、同館のホームページを見た上ですぐに私は横浜本牧絵画館を訪ねた。そこで私は武田さんにお会いするとともに、初めて岩田榮吉という画家の作品を目の当たりに観たのであった。
※作品の写真は、すべて『岩田榮吉画集』(1995年 (株)求龍堂)より接写しました。


岩田榮吉「パリの街角」(F3号1981年)
← 岩田榮吉「ランプとガラス玉」
(F30号 1970年)
岩田榮吉(1929—1982)は武田さんの奥様の叔父にあたる人で、53歳という短い生涯の半分近くをパリで制作しながら過ごしている。略歴を見ると彼は慶應義塾大学工学部を卒業後に東京芸大に入学しているのである。さらにアテネ・フランセでフランス語を習得し、フランス政府給費留学生試験に合格して28歳で渡仏。画業の傍ら西武をはじめとする日本企業にスカウトされて翻訳や通訳の仕事もしたということである。このような華々しい経歴にも圧倒されるが、私が岩田榮吉という画家を凄いと感じるのは、彼が俗なものを遠ざけて一切時流に阿ることなく、ひたすら写実・具象絵画を追求したことにある。画家の死後に刊行された画集に寄せられた、加賀乙彦さんなど同期のフランス政府給費留学生仲間をはじめとするかたがたの文章を読むと、岩田の自らの仕事に対する厳しさとともに、広く他分野への関心の深さや、友人に対する気さくな一面を知ることができて、岩田榮吉は私の中でますます好感度を高めていったのである。その作品を観ていくと、自画像における表情や静物画における細部の克明な描写に私は、この画家が目指したものは単なる絵画技術のマスターを超えて画家の内面や精神性の表現にこそあったのだろうと感じた。 (2021.1.14)
※横浜本牧絵画館のホームページへは、このURLをクリック → https://www.yh-g.org/
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