心に残る一点 by 西村計雄
- 西村 正

- 2019年2月6日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年2月10日
西村俊郎と生年も没年も同じで、しかも北海道出身の画家に西村計雄(にしむら・けいゆう)がいます。同じ西村なので間違われることもあるのですが、親戚というわけではなく、お互いに面識もなかったようです。計雄氏が叔父と違うのは、渡仏したのが1950年代と早かったことと、パリでピカソの画商であったカーンワイラー氏に認められたこと、さらに渡仏後、その画風が大きく変わって抽象画に向かったことが挙げられるでしょう。実は私がこの画家の名前を知ったのは幼い頃のことであり、しかも意外なところで、でした。当時、私の母方の伯母の家が新宿にあり、私は両親に連れられてよくその家を訪ねました。伯母の家の居間に掛かっていた絵が西村計雄氏の絵だったのです。【作品の写真は『西村計雄記念美術館コレクション選』(2006年、同美術館発行)から使わせていただきました。】

西村計雄「顔」(F8号)
あとで知ったことですが、私の伯母の夫・K氏は北海道岩内の出身で、西村計雄氏とは同郷の友人であったということで、この絵は貸絵として預かっていたものだというのです。この絵は幼い頃の私にとってなぜか忘れられないほど印象に残るものでした。この絵のモデルは計雄氏の奥さんである文子夫人だということも私は最近になって知りました。現在この絵は北海道岩内郡共和町にある「西村計雄記念美術館」にあるということです。
私はこの美術館を二回訪ねたことがありましたが、東京・大岡山で計雄氏の長女・田中育代さんが「西村計雄のアトリエ」として自宅のアトリエを公開していることを知ったので先日お訪ねしました。

「西村計雄のアトリエ」にて
田中育代さんと(右は私)
私は計雄氏の渡仏前の絵に親しみを感じるのですが、人物画についてはほとんど家族がモデルになっていることを育代さんから伺いました。計雄氏は奥さんや子供たちをフランスに連れて行ったとのことですが、単身で渡仏した私の叔父とはかなりライフスタイルが違っていたという点で、私は少し羨ましく感じました。また、遺族が自宅を美術館として公開するという方法からも多大なヒントをいただきました。育代さんの熱意に敬意を表したいと思います。ありがとうございました。 (2019.2.6)



コメント